太子kobaの散歩道

  
  

太子kobaの見聞録

大阪府東南部にあり、奈良県当麻町と隣接する太子町に移り住んで、10年が経過しました。この町は 二上山をはじめ自然が結構残っており、健康維持のため,休日にはできる限り散歩をしたいと二上山を中心に歩いてみました。でも現実にはまだまだ運動不足で、何事も続けるのが苦手な性格で、つい止めてしまいそうなので、散歩のささやかな見聞録を、HPに残そうと考えたのが始まりです。これからは、少し範囲を広げ、四季折々の話題、自然の恵み、尊さなども 加えたいと思っています。

 

 

二上山山頂

   平成19年初日の出 二上山雌岳より 

☆★☆★2009 /03/15 日曜日  中山久蔵氏とは  3月初めころ 毎日新聞で「寒地稲作の祖」と紹介され初めて知りました。 その記事を紹介したいと思います。光福寺に早速出かけたい。

ふるさと@おおさか:北海道 「寒地稲作の祖」中山久蔵 /大阪

◇太子町の誇り、石段に名刻む
 二上山ろくに位置する太子町。町役場から5分ほど歩くと光福寺という寺院にたどり着く。本堂に続く石段の右端に目をやると、そこには「石狩國月寒村 中山久蔵」と寄進者の名前が彫り込まれている。
この人物。大阪ではあまり知られていないが、「寒地稲作の祖」として北海道では、有名だという。遠く離れた北海道とも大阪は意外な縁でつながっていた。
 中山久蔵(きゅうぞう)という名前を頼りに調べていくと、北海道北広島市のウェブサイトに久蔵のことが掲載されていた。早速、同市教委へ電話してみた。「中山久蔵さんってどんな存在ですか?」
 「地域の偉人といっても過言ではない人物です。地元では、小学校の社会科の副読本に登場するくらいですからね」。生涯学習部の学芸員、畠誠さん(39)が丁寧に教えてくれた。畠さんによると、久蔵は現在の太子町春日の出身だという。なるほど、それで太子町にも名前が残っていたのか。

 久蔵は幕末の生まれで、17歳でふるさとを後にし、江戸など各地を巡った後に、仙台藩へ。その後、藩の命を受けて北海道との間を行き来するうちに明治維新を迎え、北海道へ移住したという。
 1871(明治4)年。久蔵は現在の北広島市に腰を落ち着けると、本格的な稲作に取り組み始める。当時、北海道では函館など一部で作付けされていたが、寒さの影響であまり芳しい出来ではなかったという。久蔵は寒さに強いといわれる品種を使い、栽培技術に磨きをかけ、2年後には収穫に成功した。

 その後、さらに寒冷な旭川などにも栽培技術を伝え、北海道に稲作が普及する礎を築いた。「初めて稲作に成功したわけじゃないですが、無償で苗を分け与えたり、育て方を教えたりした。そんな人柄が『寒地稲作の祖』と呼ばれるゆえんだと思いますよ」と畠さん。ふるさとの誇りをうれしそうな口ぶりで解説してくれた。
 さて、太子町ではどうだろう。「久蔵はこの寺の門徒ですよ。寺の古い記録にも、久蔵が大正8(1919)年に亡くなったと書いてあります」。石段に名前が残る光福寺の前住職、津田尚文さん(77)と妻和子さん(73)が教えてくれた。

 津田さんによると、久蔵は明治に米2石、大正に入って当時としては大金の300円を寄進している。かつて本堂には、中山久蔵という名前とともに、寄進したことを示す大きな紙も張ってあった。「石段も寄進された300円で作ったのかもしれません。やっぱり生まれ故郷への思いがあったのでしょうね」
 近年も久蔵の子孫が北海道から寺を訪ね、自らのルーツを確認していった。「この太子町から出ていき、北の大地を耕し成功を収めた。そのハングリーさを思うと本当にすごいと思います」と津田さん。大阪にとっても、中山久蔵は郷土の誇りなのだと感じさせる一言だった。【曽根田和久】


☆★☆★2007 元旦 月曜日 ふたがみやま  其の28 二上山初登り

前回二上山初登りしたのは、確か7年前 随分ご無沙汰したものです。今年は 予報どうり天候もよく 期待に胸ふくらませ 5時50分家を車で出発、6時 二上山万葉の森駐車場に到着したが すでに、たくさんの車で満杯、近くの新設駐車場になんとか駐車できました。ようやく登山口へ すでにたくさんの人たちが雌岳めざして行列状態です。古代池・桜の木が両脇に植えられた道を 歩くこと約40分山頂に着きました。前回と異なり天候に恵まれたためか、すでに山頂は人々でいっぱい。今年の日のでは7時5分ごろと聞いていたので、その前にボランティア(朝がゆ会の皆さん)から温かい「甘酒」を頂戴いたしました。本当に体が温まりおいしく 有難うございました。また 小学生の皆さんの太鼓も聞かせて頂き 元気 もいただきました。また 聞かせてください。 いよいよ 時刻 初日が 上がって、人々の歓声がきこえる中で 新年を迎えることができました。

☆★☆★2005/06/11土曜日 ふたがみやま  其の27 王陵の谷を歩いて

久しぶりに先週 敏達天皇陵から推古天皇陵まで散歩に出かけた、敏達天皇陵の近くには、上之宮太子高校がありいつも元気な高校球児の掛け声が聞こえる。それとは対照的に敏達天皇陵の参道は静かで少し上り坂掃き清められた砂利道その奥に敏達天皇陵、ウグイスの声がよく調和します。
推古天皇は敏達天皇の皇后、曽我馬子の姪で、聖徳太子を摂政とした最初の女帝。推古天皇陵は古文書によると2つの石棺が安置され、子の竹田皇子との合葬陵といわれています。

☆★☆★2002/02/10 日曜日 ふたがみやま  其の26 聖徳太子展

大阪で 開催されている、聖徳太子展も 明日までとなりました。去る1月20日、大阪市立美術館に、出かけました。 日曜日 とゆう事もあつたのか、たくさんの入場者、その 関心の凄さに 驚きました。国宝 玉虫厨子をはじめ、国宝 重文 など 200件の至宝 その多さ、飛鳥時代から 現在に至る 太子信教 事実と異なる面も たくさん混在するのでしょうが それにしても その 影響力 に感心するばかりです。

☆★☆★2002/01/13日曜日  番外 年のはじめに  

明けまして おめでとうございます。昨年 21世紀の初めの年は、小泉内閣のもと、痛みを分かち、を 合言葉のように社会生活、経済、全ての面で、構造改革 が 叫ばれた。創傷(きりきず)だらけの、構造改革? 先の見えない状況が、改善の方向に歩んでいるのだろうか? 今年こそ、明確な目的が、1番 大切だろう。(きず)から(はじまる)に改革し、創作・創立・創造・創意・創始・創刊・創建・創業・創設・創世 の文字が、躍る年となるよう 祈りたい。

 

☆★☆★2002/01/04金曜日  ふたがみやま  其の25  聖徳太子

NHK大阪新放送会館完成記念 大型 ドラマ 「聖徳太子」 が 放送されて,聖徳太子に対する 興味が一段と 喚起された 今日この頃ですが、大阪市立美術館(天王寺公園内)では、14年1月8日から2月11日まで、「聖徳太子展」が 開催される。

そのパンフには、次のように記載されている。 日本の歴史上で最も馴染み深く、その姿を多くの絵画や彫刻に残す聖徳太子。聖徳太子は、推古天皇の摂政として17条憲法や冠位12階を制定するとともに、遣隋使を派遣するなど、外交面でも大きな成果を収めました。ー 中略ー新たなる世紀を迎えた今日、この展覧会を通じて、太子の生きた時代を振り返り、その偉業を偲ぶとともに、日本の未来を展望する機会になればと考えます。と  是非 出かけてみよう。

 

 

☆★☆★2001/07/07 土曜日  ふたがみやま 其の24  江戸時代の竹内街道

竹内街道は、江戸時代 堺と南大和を結ぶ 経済の重要な交流の道として 又 伊勢神宮や山上(大峰山) 聖徳太子の眠る叡福寺 参りの信仰の道として、大変な賑わいがあったそうで、街道筋には、旅籠や茶店が沢山軒を連ね、幕末には、吉田松陰なども 利用したと伝えられていますが,現在は太子町 大道地区に 1部街並が 保存されていますが,その静かな 街並からは、当時の 活況を 感じる事は出来ません 詳しいことは、竹内街道歴史資料館を、訪問ください。

 

 

☆★☆★2001/01/13 土曜日 

  ふたがみやま 其の23 岳登り 4月23日の由来

江戸時代末に書かれた「西国三十三所名所絵図」に「例年3月23日薩州より修験者きたり、当麻寺の僧侶と倶に護摩供を修法す。(中略)険岨をことともせず戯れ登りて群集す。 と書かれている。旧3月23日は 今の4月23日このあたりが4月23日の由来か?だがなぜ4月23日に薩州より修験者が来て、岳登りをしたのでしょう???

☆★☆★ 2001/01/06 土曜日 

  ふたがみやま 其の22 岳登りのいわれ

 二上山散策の栞(二上山・萬葉の森作成)より 二上山は、2000万年前に噴火した山で、高い方は雄岳(517メートル)低い方が雌岳(474.2メートル)で数年前から自然公園として整備されーー 中略 ーーこの二上山には、もともと岳のぼりと呼ばれる年中行事がありました。 毎年4月23日の「岳のぼり」の日は、麓の太子町や奈良県の当麻町では、どこの家でも家族や近所の人達が揃って弁当えおもって二上山へ山遊びに出かけました。--中略ーーまたこのあたりは、山が浅いので水が少なく、農家の人達は田植え前に雨が沢山降って欲しいいと雄岳の雨の神様といわれる権現さんにお祈りしました。 以後略ーーー という解説がありますが、今でいう 春のレクレーション 雨乞いの時期 という事で4月なのは理解できますが,なぜ23日なのか? どなたか ご存知ならば 掲示板にて 教えてください。 

 

☆★☆★ 2001/01/04 木曜日 ふたがみやま 其の21 21世紀 明けましておめでとう御座います。 太子の年中行事−−竹内街道歴史資料館発行資料より 1月の主な年中行事   今もみられる行事ー1日 初登り(二上山)・初詣 7日 七草粥  10日出初式    11日 鏡開  15日 小正月・トンド(山田の一部町内会)・年行事渡・成人式(平成13年より変更)   今は殆んどみられなくなつた行事ー2日 初風呂 6日 寒の入り(神年越し)     10日 十日戎  14日 春日新池のトンド 16〜20日 藪入り      20日 二十日正月・骨正月

 

☆★☆★2000/12/31 日曜日 20世紀最後の今日 振り返り思いは、本当に早い、何が、? 毎年あれもしたい これもしなくては、とか考えているが、すぐ日が過ぎ去る。 二上山に登り、2000年の初日を拝み、いわゆる 岳のぼり をして1年が経過した。 二上山は、四季おりおりに、変化し楽しませてくれる。 今年の紅葉は、気候の関係か 随分遅れていた 確か11月3日 だっだと記憶しているが、午前中 あいにくに 天候で 友人と3人で岳のぼりの約束があり 午後少し天候が回復した合間に 鹿谷寺跡(ろくたんじ)から雄岳 雌岳を、見上げると、もう紅葉と期待していたのに、木々は冬の到来を感じないのか? 青々としていた。 しかし、12月 もみじなど落葉樹はすかり紅葉 今は落葉し、枯れたようにみうけられるが、しかりと新芽がつき 新年春の到来の準備もできているようだ、21世紀も二上山は自然を満喫させてくれるでしょう。

 

☆★☆★2000/11/04 土曜日 ふたがみやま 其の20 今日は、二上山の クリーンキャンペーン 10時万葉の森 二上山登山口に 約60名程度のボランティアの人が、集合され 山頂近くの馬の背まで、清掃の開始、最近は、多くな情報によると、ハイキングコースは、ごみの山とか、しかし、今日の清掃コースは、ある意味で、期待はずれ、でも、二上山に登られる人々のマナーの良さに接し、本当に気持ちよい1日でした。 これからも、いつまでも、ごみの無い、自然の宝庫であり続て欲しいと、願いながら、雄岳の山頂の「大津皇子」(天武天皇の皇子)の御陵に立ち寄り、奈良県よりに下山、天台宗末寺「祐泉寺」をまわり、再び岩屋までしばらく杉林の中を登り、出発地点の万葉の森に戻るコースを取りました。約1万500歩の散歩となりました。 すでに、紅葉の景色と少し期待していましたが、まだ気候の所為でしょうか、もみじ等の 紅葉には、もうしばらく時間がかかりそう。 途中お会いした、千葉県からのご主人気をつけてお帰りください。

 

☆★☆★2000/10/20 金曜日 ふたがみやま 其の19 10月15日 尼ヶ谷遺跡の現地説明会   当日,今にも小雨が来そうな天候にも関わらず、相当な見学者が来られて、熱心に耳を傾けておられました。場所は、聖徳太子の御廟の南東すぐ 用明天皇陵の西すぐ 現在太子町の中央を南北に通りぬける太子中央線の建設現場 丁度 やや北東には 二上山 がすぐ近く いわゆる梅鉢御陵(敏達・用明・推古・孝徳天皇陵と聖徳太子墓を結ぶ梅の花のような地域)の ほぼ中央部にあたり、その事も 今後の研究の期待される大きな要因とのことでした。

 

☆★☆★2000/10/14 土曜日 ふたがみやま 其の18 太子町・尼ヶ谷遺跡「6世紀末の大型石室発見」  6〜7世紀の古墳時代後期〜週末期の古墳が多い「王陵の谷」そのほぼ中央で横穴式石室 発見の二ユースが昨日毎日新聞朝刊 河内版に掲載されました。その記事は次の様に伝えています。 「王陵の谷」の中央  有力氏族葬る?  太子町教委は12日、同町太子の「尼ヶ谷(あまんたに)遺跡」で、6世紀末(古墳時代終末期)の大型の横穴式石室(全長約10メートル)が見つかったと発表した。 7世紀以降の天皇陵が集中しており「王陵の谷」と呼ばれる磯長谷(しながだに)古墳群の中央に位置し、町教委は「天皇家に近い蘇我氏など有力氏族が葬られたのではないか」と話している。 石室は小型の石材が使われ、玄室は縦5.3メートル幅2.2メートル。石棺は盗掘により砕けていたが、石棺片の内側に朱を塗った跡があった。石室内で土師器や須恵器数十個、ガラス製の管玉や石製の臼玉(うすだま)が出土した。 15日に現地説明会  15日午後2時から現地説明会が開かれる。問い合わせは町教委社会教育課(0721-98-5534)。 以上が新聞報道です。明日の散歩はここに決めました。

 

☆★☆★2000/10/09 月曜日 四季 其の4 秋と言えば、収穫 日本のいたるところで、今沢山の農作物が収穫の時期に来ている、収穫に至るまでの過程には、多くの自然の難問が待ち受けていただろうに、この近辺でも、稲、ブドウ、さつまいも、みかん、秋茄子、など多くの畑や田で、収穫がされている。私も少し 家庭菜園を楽しんでいるが、昨日 さつまいもの取り入れをした。5月苗を植え付け、今年の夏は、さつまいも、もさすが、水不足で成長しないのでは、と心配したが、なかなか強いもので、それ程手入れしないにもかかわらず、収穫の楽しさを、堪能させてくれました。大自然に感謝。 さつまいもの原産地は、メキシコあたりの熱帯アメリカと言われ、日本には、1597年宮古島に伝えられ、琉球へは中国福健から1605年に入り栽培され、1609年以降、薩摩へ、主に九州地方で多く栽培されるようになった とされています。

 

☆★☆★2000/09/23 土曜日 四季 其の3 今日は、お彼岸お天気さえ良ければ、お墓参りも多いだろうが、こちらはあいにくの雨、明日はお天気も回復とか、近くの太子霊園もにぎやかになるだろう。この近辺には,沢山のブドウが栽培されており、その収穫もピークは過ぎたかもしれませんが、9月20日読売新聞 夕刊 味わい探しシリーズ しおり 欄にこの地方のブドウとワインについて次の記事が掲載されていました。 天正年間(1573-92)現富田林市でブドウ酒を醸していたとの記録がある。「紫ブドウ」といい、藤井寺市などでも明治中ごろまで家々の庭先に植えた。 柏原では明治11年(1878)、堅下村(現柏原市)の中野喜平氏が甲州の苗木でブドウ栽培に成功。昭和初期には府内のブドウ生産が全国首位を争うまでになった。 柏原のワインは高井作次郎氏が元祖。昭和9年(1934)の室戸台風で落ちた実を使って醸造する農家が増えた。昭和40年代後半以降のワインブームで本格的な味を目指した。 府内の羽曳野市や太子町でもデラウエアを中心に栽培し、「飛鳥ワイン」や「河内ワイン」などがある。 以上が新聞記事である、明日は 周辺のブドウ棚を散歩したい。

 

☆★☆★2000/09/02 土曜日 四季 其の2 もう9月というのに、残暑まだまだ 続きそうですが、もうすぐお彼岸です。お盆 お彼岸には、何か習慣のように お先祖のお墓参りを致します。今年のお盆には、家内の両親の眠る 広島県呉市のお墓参り、以前とは違い 随分時間的には、近くなりましたが、自宅から新大阪に出て、新幹線で広島 呉線に乗り換え、呉まで 4時間弱で行く事が出来、行きは、呉線の車窓から,瀬戸の景色を眺め、生前の両親を思い出し、途中、田舎の雑貨屋さんでお花を買い、瀬戸内海が一望できる墓地にお参りをしました。 そうすることが,何か 自分達の気持を 落ち着かせるのです。しかし、片道4時間といえど、頻繁に お参りする事は、なかなか困難です。もっともっと 遠くに まして海外にお住まいの人々にとって、これは 大変な事だろうと考えてしまいます。

 

☆★☆★2000/08/26 土曜日 ふたがみやま 其の17 随分更新できず、残念だつたが、気を取り直し 散歩を 健康のため 再開したいと考えています。今日は、二上山の東北 桜井に在住の M.Iさんから 頂いた「 山田の道」と 言うお便りを 紹介したい。 谷仁王堂から飛鳥へといたる 名所 旧跡が豊富な道 谷仁王堂から南へ 阿部・山田を経て飛鳥へとつつ‘く、いわれ・山田の道 土舞台は、聖徳太子が百済より帰化した 味摩之(みまし)の伎楽舞(くれのうたまい)を習わせた。いわば日本で最初の国立劇場・演劇研究所だった場所で わが国の演劇発祥の地です。 かがり能が演じられる毎年10月第3週の土曜日は幻想的な舞を鑑賞する人々で賑わいます。  *現在は土舞台ではなく公民館で かがり能が行われているそうです。 と言うお便りで、国道169号と国道165号 交差する 谷 と言われる場所の近くの 土舞台 の跡 地図を 添えていただきました。皆さんも一度訪ねてみてはいかがですか? M.I さん 有難う御座いました。

 

☆★☆★2000/02/05 土曜日 四季其の1 上宮太子高校 第27回選抜高校野球出場 おめでとう。 二上山の西約2キロ 「近つ飛鳥」と呼ばれるこの地域、「敏達天皇」「用明天皇」「推古天皇」「孝徳天皇」「聖徳太子」の各御陵からなる梅鉢御陵 この地域に1988年 開校の『上宮太子高校』野球部は1998年4月に創部で、創部2年で春の甲子園出場とは、驚きです。同校グランドは、自宅から近く、時々練習を見せていただいています、兄弟校の上宮高校(大阪市天王寺区)と時間差をつけての、共用との事、練習時間の制約を、はねのけて勝ち得た出場、健闘を祈りたい。

 

☆★☆★2000/01/01 土曜日 1 明けましておめでとうございます、2000年問題も、大きなトラブルもなく新年を迎える事ができ本当に良かったと、思います。 さて、今年も「ふたがみやま」を中心に見聞録を書いていきたいと、考えています。 今日は、初日の出を拝むため朝4時家を出発、二上山に登りました、万葉の森(二上山登山口)には5時早くも多くの車が駐車し、懐中電池を照らしながら、雌岳めざし幾人かが初登りを楽しんでおられ、雌岳山頂では、6時からの甘酒配布の準備をされている方々を拝見し、私も美味しい甘酒いただき大変暖かくなることができました、世話をして頂いた方々有難うございました。 7時前には、山頂には、2000人(私の推測)以上が初日の出を拝みに、奈良盆地 東の方向へ、あいにく雲が東の空にかかり、7時過ぎ少し、拝むことができました。 又、初登り記念「しゃもじ」をいただき下山しました。

 

☆★☆★1999/12/31 金曜日 1999.12.31 ふたがみやま 其の16 今年最後の日、二上山は、大変良いお天気で、200年の到来を、静かに見つめているようです、雌岳山頂広場からは、大阪平野から大和三山のある奈良盆地までの景色を一望できます、明日元旦、初日の出を観る多くの人々で、賑わう事でしょう、元旦6時より山頂で、甘酒の無料配布、6時30分より記念品が当たる抽選会があり、先着550人に記念しゃもじが贈られる(雨天中止)。 2000年の初日の出を、二上山でみませんか。

 

☆★☆★1999/12/25 土曜日 1999.12.25 ふたがみやま 其の15 いつの間にか 12月 二上山周辺で、今一番の訪ね所は、やはり当麻町染野 「石光寺 染寺」11月から翌年1月下旬まで 寒牡丹の見頃で、路地栽培のすばらしく綺麗な花を、観賞させていただけます、与謝野晶子が、「初春や当麻の寺へ文かけは 奈良の都に住むここちする」と詠んでいます。中将姫がこの寺の井戸で蓮糸を洗い五色に染め、桜の掛けて乾かしたのが、750年頃とか、それから1250年 来年2000年には、もう一度訪ねてみたい。

 

☆★☆★1999/11/23 火曜日 ,ふたがみやま 其の14 二上山万葉の森の麓に竹内街道(国道166号線)があります、この道を西へ 大阪方面へ1キロ足らずのところに、平成9年道の駅「近つ飛鳥の里太子」がオ―プンしました、ここでは,毎朝 朝市が開かれ 地元で収穫された、野菜 果物 季節感ある物がならべられ、人気が有るそうです、またこの道の駅は、「太子町竹内街道資料館」のゲ―トステ―ションとして、歴史文化を紹介しています。詳しい事は、竹内街道の詳しい情報は、http://kaido.fc2web.com/14takenouchi.htm に掲載されています。

 

☆★☆★1999/09/25 土曜日  観光農園 其の2 大阪府羽曳野市駒ヶ谷は,ぶどうの産地で、見渡す限り小高い山肌に、ぶどうの棚があります、この地方で最初に栽培が始まったのは、明治中頃 のようで、昭和の初めには、その生産高は 全国一となったと言うから、驚きです、今も沢山 生産されており、ぶどう狩り観光農園で、シーズンには沢山の人達が、その味を堪能されます。場所は、近鉄南大阪線 駒ヶ谷駅下車。 近くには、河内ワインの館も出来ており、一度訪ねてみてはいかがですか。

 

☆★☆★1999/09/23 木曜日  観光農園 其のT 残暑が大変、こんな年も珍しいのかも知れませんが、夜になると、虫の声が、あちこちで聞こえます、自然の凄さを感じます、収穫の秋の到来です、大阪南河内にも、多くの観光農園があります、身近なところから、しばらく、収穫の秋を、散歩したいとおもいます、まずは、二上山の少し北西に有る、上の太子観光みかん園です、ここは、知る限りでは、関西では最大の広さがあり,南側斜面には1万本をこえるみかんの木が、植えられており,其の斜面からの景色は、どこか遠い田舎を連想するが 大阪市内より比較的近く10月から11月に、沢山の人々が訪れます、昨年は、気候の関係でみかんも不作の様でしたが、今年はどうでしょう、みかん園内には、迷路 レストハウス、ミニアスレチックも有り、1日楽しむ事が出来ます。近鉄 上ノ太子駅より開園期間中、送迎バスも有るようです、期間など詳しいことは、0721-98-1862で確認下さい。

 

☆★☆★1999/09/12 日曜日 1999,09,12 ふたがみやま 其の13 9月 絶好のハイキング季節 二上山の周辺は 今まで その一部を散歩してきましたが、他にも沢山の見所があります、観光農園には沢山の人々が、孝徳天皇陵 推古天皇陵 敏達天皇陵 用明天皇陵 には多くのハイカーが、 でも、一日汗をかいたら、温泉で一休み、二上山のふもとに 天然温泉 (大阪府公認)太子温泉があります、ここにゆっくり浸かり、疲れを取られては、いかがですか。 尚、泉質は弱アルカリ性単純温泉で、大浴場 宴会場もあり、くわしくは、tel-0721-98-4126へ。

 

☆★☆★1999/09/05 日曜日 ふたがみやま 其の12 二上山万葉の森入り口より 二上山雌岳山上に向かう、中腹に二つの 石窟寺院跡が有ります、一つは、「岩屋」で大陸の影響をうけたと、言われている奈良時代のもので、三重の石塔と石窟が残っており、壁には三体の仏像が浮き彫りされています、もう一つは、「鹿谷寺」(ろくたにじ)で、山を彫り残して作られた十三重の石塔と如来座像三体を線彫りした石窟が今も残っています、またここから、日本最古の貨幣「和同開珎」が発見されています

 

☆★☆★1999/08/29 日曜日 ふたがみやま其の11 二上山の南西に、近つ飛鳥博物館(大阪府立)が有ります、この博物館は、日本古代国家の形成と諸外国との交流を、古墳時代から飛鳥時代の出土品など多くの資料で紹介しています、特に、仁徳陵古墳の模型(縮尺150分の1)や修羅は、見応えがあります、また、周りは、近つ飛鳥風土記の丘として、整備されています。詳しいことは、リンクの小道に、博物館のURL 紹介しています。

 

☆★☆★1999/08/22 日曜日ふたがみやま 其の10 二上山の北東 香芝市役所前に 二上山博物館(香芝市立)が有り、ここでは主に、旧石器時代の二上山に接することができます。この博物館の案内パンフには、「二上山と3つの石」と題し次のように書かれています。 「二上山と3つの石」−−−なんとなく謎めいたことばですが、二上山博物館のテ―マです。万葉の時代から神秘の山と崇められてきた二上山も、こうしたー面とはまったく異なる面をもっています。 いまからおよそ1,500万年前頃に、大噴火した火山というのが二上山の真のすがたなのです。   と案内にありサヌカイト・凝灰岩・ざくろ石(金剛砂)と歴史文化を、知ることが出来ます。

 

☆★☆★1999/08/21 土曜日 1 ふたがみやま 其の9 二上山の位置について、この山の西は、大阪府太子町、東は奈良県香芝市同県當麻町で、両県県境にあります、二上山 雌岳頂上より、西を向けば、大阪平野を、東を見れば、大和三山のある奈良盆地が一望できます、尚、二上山は、北の高い峯を 雄岳(515m) 南の低い峯を 雌岳(474m)と呼び 現在は <にじょうざん>と言いますが、むかしは、<ふたがみやま>と呼ばれていました。

 

☆★☆★1999/08/21 土曜日 ふたがみやま 其の8 二上山の西に 叡福寺と言うお寺があります、この寺は、聖徳太子の御廟を守るため、推古天皇が建立したと伝えられている、現在広い境内には、国の重要文化財指定を受けた聖霊殿や多宝塔をはじめ、浄土党、金堂など十数棟がいらかをならべています。二上山に登る機会があれば、一度立ち寄られてみては。

 

☆★☆★1999/08/19 木曜日 ふたがみやま 其の7 二上山の南西数キロに いもこさん と呼ばれる所があります、そこには、その名から 分かるように、小野妹子の塚と言い伝えられている塚が、まつられており、墓の規模は、東西15メートル南北11メ-トル高さ3メートルの楕円形 小野妹子は7世紀初め、聖徳太子が中国の隋に使者として送り出した遣隋史として、よく知られています、春には、桜が咲き乱れ多くの人々が、訪れます。

 

☆★☆★1999/08/18 水曜日 ふたがみやま其の6 しばらくすると、ハイキングに最適な季節の到来、そこで、簡単に二上山への モデルコ-スを書いてみます、 近鉄南大阪線 上の太子駅=(バス8分・1キロ)=六枚橋バス停=(0,8キロ)=孝徳天皇陵=(0,5キロ)=竹内街道歴史資料館(1,5キロ)=二上山万葉の森登山口=(0,3キロ)鹿谷寺跡=(0,3キロ)=二上山展望台=(1キロ)二上山雌岳山頂 色々なコースがあります、あなたと、何処かで会えるかも。

 

☆★☆★1999/08/16 月曜日 ふたがみやま 其の5 二上山の西に 竹内街道歴史資料館(大阪府太子町) が有り、ここでは竹内街道の歩みや、近つ飛鳥・王陵の谷とよばれる太子町の歴史をマジックビジョンなどで、知ることが出来ます、竹内街道の歴史は、飛鳥時代 難波と飛鳥の京を結んだ日本最古の官道 大道に始まるといわれています。

 

☆★☆★1999/08/15 日曜日 ふたがみやま 其の4 二上山の北西数キロに、屯鶴峯(どんずるぼう)がある(奈良県香芝市)疑灰岩でできた白い山肌が、大変印象的なところで、まるで鶴が、屯(たむろ)しているような、ところからこの名がついたといわれています、この岩は、二上山が爆発した時に降った火山灰により出来たといわれています、もうすぐ、秋の行楽季節、多くのハイカ-で賑わうことでしょう。

 

☆★☆★1999/08/15 日曜日 ふたがみやま 其の3  二上山のふもとに国道166号線が有る、竹の内街道と一般によばれている、166号は東に行くと、大和高田市で一旦途切れている、地図の上では、其のように見える ところが、樫原市から 大宇陀 東吉野 と続き 三重県の松坂に至る、今日車で走行してみた、大変景色の良い 大自然の中を走ることができた。この道には 何か歴史があるような気がします。ご存知の事あれば教えてください。

 

☆★☆★1999/08/12 木曜日 ふたがみやま 其の2 二上山の中腹には、古墳時代に石棺などをつくるため材料である石を切り出した石切場があります・この周囲より、あの有名な高松塚古墳の石も、この石切場から運び出されたサヌカイトや凝灰岩が利用されているそうです。現在はほんの少しその面影がのこるだけですが、サヌカイトから道具文明が始まったと思うと一味違った散歩が出来ます、機会があれば、訪ねてください。

 

☆★☆★1999/08/08 日曜日 ふたがみやま 其の1  万葉集にもよく登場する 昔より多くの人々に愛されてきた 二上山 私が住んでいる所から 数キロのところに有ります、この二上山を 中心に 散歩をしていきます、どのような、見聞録となりますか? 二上山について何かご存知ならば、掲示板にて教えてください。