なにか近くて遠く感じられた 和歌山に 久し振りにたずねました。まず 友が島へ渡ろうと加太港へ、当日あいにくの雨模様 
港から友ヶ島汽船で、沖ノ島まで約20分 友が島の散策を楽しみに訪れたが、雨もだんだん激しくなり、
残念ながら第2砲台跡一箇所の見学しか出来ず引き返し、再び加太へ、紀三井寺にお参りすることとなった。

野奈浦桟橋 http://www.fujiya.tv/tomogasima.html
 第二砲台跡 
紀三井寺・楼門 室町時代1509年建立http://www.kimiidera.com/紀三井寺・本堂 江戸時代1759年建立

西国観音霊場第2番札所

救世観音宗総本山 紀三井寺

ふるさとを はるばるここに きみいでら 
     はなのみやこも ちかくなるらん

 

 紀三井寺・多宝塔 国指定重要文化財 

新和歌の浦に宿泊 翌日は少しお天気も回復、遠く和歌山マリーナシティが雲にかかった状態

朝 新和歌の浦海岸を散歩

その後

元和7年(1621)、紀州藩祖徳川頼宣によって創建された。徳川家康を神格化した「東照大権現」、紀州藩初代頼宣を神格化した「南龍大神」が祀られている、紀州東照宮へ

   
  紀州東照宮
和歌山城
二の丸庭園 

紀州東照宮(きしゅうとうしょうぐう)

元和7年(1621)、頼宣が南海道の総鎮護として創建した社殿は、国重要文化財です。江戸初期の代表的な建築様式である権現造りとなっていて、「関西の日光」とも言われています。

和歌山城

豊臣秀吉は、天正13年(1585)に紀州を統一し、弟の秀長の領地としましたが、その時虎伏山に自ら基本設計し、本丸と二の丸を築かせたのが和歌山城の始まりです。翌年に秀長の城代・桑山重晴が3万石で在城。続いて関ヶ原の戦いで功をたてた浅野幸長が入り、元和5年(1619)には徳川家康の第10子、頼宣が55万5千石で入城。城郭の大改修が行われ、西国第一の要衝としての体裁を整えました。以来約250年間、尾張、水戸と並ぶ徳川御三家として大いに栄えました。