古里の風景 

古里の春

4月桜咲く頃 田舎に帰るのは何年ぶりか、

桜まつり開催アスピア玉城の桜も随分大きくなりました周辺には100本もの桜が植えられています

宝塚古墳(三重県)

船形埴輪出土位置
古墳と土橋、造り出とくびれ部分との間から出土
した。
この船形は」ほぼ完全な形に復元できた。

船形埴輪 (松阪市・宝塚1号墳)
全長140cm.高さ90cm最大幅25cm
威厳を示す太刀50cm。王者のもつ杖と考えられる威杖48.8cmと45.5cm
権威を示す蓋10.5cm軸39cm
平成18年国の重要文化財に指定

宝塚1号墳と造り出
造り出し遺構
祭祀場を形成
伊勢の王墓宝塚古墳 この解説文は 松坂市在住 郷土史家 谷口正則先生から提供いただきました。 

2009/1/3 栃ヶ池(多気町成川)

柿畑 ↓
2008・10・13
コスモスと松の苗木 ↑

 

皇大神宮摂社
朽羅神社
田んぼの中に 鎮座する

多気町と境を接する、東原の田の中にある。皇大神宮儀式帳には、久麻良比(クマラヒ)神社とあり、延喜大神宮式には朽羅社、同神名式には朽羅神社と見えている。中略 社頭には天保3年の常夜灯がたっている。(伊勢神宮125社ウオーキングパンフより)

地元では 宮田の森 呼ばれる
 
 
山(国束山)と池
 
 道と田園 
   
   
   

 

(2009年04月02日 読売新聞)より


三重・松阪
商魂の芸術 木綿と牛
 阪神なんば線が先月開通して、近鉄と相互乗り入れし、神戸方面からも伊勢路が近くなった。自宅近くの阪神・魚崎駅から電車に乗った。伊勢路の交通の要衝、三重県松阪市には、木綿と牛をブランド化した商人の才覚が息づいていた。

(山畑洋二)


松阪商人の邸宅が残る一角。豪華とは言えないが、堅実な暮らしぶりがうかがえる=追野浩一郎撮影 近鉄松阪駅の西約500メートル。お伊勢参りの旧参道近くに白壁と格子窓の商家が残る。築300年とされる木綿問屋の長谷川邸(旧丹波屋)。屋根には富の象徴であるうだつがあがる。さらに歩くと、瓦ぶきの門がある。三井グループを起こした三井家の発祥地だ。江戸時代前期の1673年、江戸に越後屋を開き、松阪の本店から船で反物を運んで財をなした。今は屋敷はなく、幅6メートル、高さ4メートルの門も大正時代に再建されたものだ。

 越後屋に代表される商人は松阪商人と呼ばれる。「最盛期、江戸には松阪出身者の店が約120軒あった」と郷土史家の大喜多甫文さん(71)はいう。「その気質は質素と倹約。地元産品に付加価値をつける才覚もあった」

 商いの源は松阪木綿だ。地域で採れた綿と藍で作った。粋を重んじる江戸庶民のニーズをいち早く察知し、斬新な柄「松阪縞」を生み出した。

 洗うごとに鮮やかになる発色と幾何学的な模様。その品質とデザイン性の高さが江戸の人々を魅了した。


 その技術を今に伝えるのが松阪もめん手織りセンターだ。シャツやバッグ、反物などを販売しており、手織りも体験できる。センターの水谷陽子さんは「初心者向けのコース(2000円)もあり、お薦めです」と話す。

 明治時代に入ると西洋文化が広まり、商人魂は今度は最高級の松阪牛を生み出した。

 牛肉の需要が高まると、農耕用だった牛を食用として育て、徒歩で20日かけて東京まで運んだ。ここでもニーズを先読みする才覚が光る。肉付きのよい但馬の子牛を買い付け、麦や大豆かすなど栄養価の高い飼料で肥やし、昭和初期には「肉の芸術品」と呼ばれるまでに磨き上げた。現在は約8000頭が肥育されている。

 その“芸術品”を、明治初期創業の「和田金」で霜降り肉の「寿き焼」としていただいた。1人前9240円。軟らかく、肉汁の甘い香りが口の中に広がった。のみ込むのがもったいないほどだ。

 「めったに食べられませんね」と地元の人に話すと、隠れスポットを紹介された。駅周辺に点在するホルモン店の一つだ。七輪での網焼きが一皿700円。ホルモンも松阪牛だ。煙に包まれながら、よくかんで味わった。商人文化が町の至る所に浸透しているのを感じながら。